1957年に国鉄初の新性能通勤形電車として登場したモハ90形(後の101系)は当時の民鉄のカルダン駆動に匹敵する加速度・減速度を備え、国鉄の通勤輸送の要として期待された。しかし試運転を重ねていくうちに所定の加速設定ではピーク電流が起電設備への負荷が大きいことが分かり、試作車による12月の営業運転開始から101系は本来の性能を発揮できずせっかくの高性能車による全電動者方式を持て余してしまう。
初の新性能電車の運転に対して国鉄工作局も電気局も架線設備や変電所容量が適合するかを見落としていた。既に昭和32年度にモハ90形が150両予算計上されており、1958年春から夏にかけて落成が進んでいたが、量産車も本来の性能を発揮できなかったことから全電動車構成のあり方に疑問が投げかけられる。
起電設備が原因でモーターを有効活用できないならモーターの数を減らしたほうがコストが安くなるので昭和33年度からの新製車は10両編成のうち2両をモーター無しとした8M2T編成で増備されることとなった。
これらの観点から1959年11月に中央本線で営業列車を使って主電動機湿度測定試験が行われた。基本4M4T+付属2Mという編成で使用したが、付属編成を分離した後の4M4T編成は日中の閑散時でもモーターの湿度が上昇しており、101系ではMT比1:1の編成は主電動機の熱容量不足で不可能という結果が出た。これと同時に編成は電動車2両とモーター無し車1両の2M1Tを基本に場合によっては4M3T・6M4Tまでの編成に制約する判断が出された。また、この試験だけでなく主電動機の熱容量を計算で求めるRMS電流値による運転評価が1959年秋から実用化され、MT比1:1に限らず駅間距離の短い路線ではMT比1:1でなくてもモーターを冷やす時間が少ないことから計算上でも101系より不利になった。